戻る

― 名も知れぬ兵士の善行 ―

この話は1951年、第四代三島通陽総長が世界会議に出席の帰途アメリカ連盟の本部を訪ねて、

シャック博士(アメリカ連盟総局長)から聞いた話です。

1952年には日本のボーイスカウト運動の視察にこられたフィンネルさんも話していました。

太平洋戦争も終わりに近づいた頃、

南太平洋の小さな島で起こった実話です。



日本とアメリカの兵隊が大決戦をくり返していた時の話です。

一人のアメリカの兵が重症を負って倒れていた時、

人の足音に気がついて目を開くとそこに一人の日本兵が

剣付鉄砲を持って突っ込んでくるのが見えました。

重傷で動けないアメリカ兵は殺されるかと思ったまま

目を閉じて気を失ってしまいました。

しばらくして気がつくと日本兵はおらず、

そばに小さな紙切れがおいてありました。


助けられ、たんかで病院に運ばれた時、

さっきの紙切れを思い出し「ぺ一パー、ぺ一パー」と言って

ドクターに渡しました。そこには

「私は君を殺そうとした日本兵だ.

君が三指の礼をしているのを見て、

私も子どもの頃スカウトだったことを思い出した。

ボーイスカウトは兄弟だ、それに戦えなくなった人を

殺すことは許されない、傷は応急手当をしておいたよ、

グッド・ラック」

と書いてありました。



この重症のアメリカ兵は無事アメリカヘ帰り、

お父さんとアメリカ連盟を訪ねこの話をして献金をして帰ったそうです。

三島総長は日本に帰りこの兵士を捜しましたがいまだに見つかっていません。

きっと戦死したのでしょう。

しかし、この無名戦死の話は長く伝えられアンノウン・ソルジャーとして

神奈川県の「こどもの国」に記念碑が建てられています。



戻る